LIFE LOG

頑張りつづけることはむずかしい

2月17日 ウタ

むかし、何度か「三姉妹暮らし」をした。たいてい誰かに彼氏ができたとか別れたとか、そんな理由で、離脱したり戻ってきたりを経て、毎回微妙に組み合わせを変えながら引っ越しを繰り返した。20代はほぼそんな感じだった。

町田駅 徒歩13分の2DK。大学進学とともに上京した私は、姉二人が暮らすこのアパートに転がり込む形で東京ライフをスタートさせた。長女と次女、それぞれ部屋があったが、長女の彼氏(⚽️長谷部似)が常駐していたため、わたしは必然的に次女部屋にダンボールを運び入れた。そのうち、次女は専門学校でできた彼氏と同棲をはじめ、町田の家には全く帰ってこなくなった。

 

長女と二人で千歳烏山のアパートに引っ越した。

私はすぐに彼氏の家から帰らなくなり、そんな折に彼氏と別れた次女が戻ってきて、そうかと思えば、バイカーの彼氏と付き合い出した長女は吉祥寺で同棲を始めて、その間に、わたしは彼氏連れでアパートに戻ってきて。いつの間にか次女はいなくなってて......ジャンガジャンガあって、結局、姉と私それぞれの彼氏とで4人暮らしをしていた時期もあったりした。

こうギュッと書くとめちゃくちゃだが、意外とそのことで揉めた記憶はない。全員が全員、若かった。

それに、なぜかあの頃のことは断片的な記憶しかない。

隣人の玄関に大量のビニール傘が溜まってたこと。小さな庭にシソやプチトマトの苗を植えたが、最後引っ越す時には草ボーボーになってたこと。別れることになった彼氏が、私と姉に置き手紙をして出ていった日のこと。夜明け方、甲州街道をチャリで爆走していたこと。

こんなことも歳と共にどんどん忘れていくんだろうと思うと、書き残して置きたくなるから不思議だ。

三姉妹暮らしはまだ続く。

 

経堂駅 徒歩5分 2DK

彼氏の家に転がり込んでいた私を置いて、次女と長女ふたりが経堂に引っ越した。そして1年くらいの間に、猫一匹と次女の彼氏が加わり、私も戻り【狭小2DK】に4人+猫1匹という大所帯になった。家に帰ると誰かがいたし、夕飯はたいてい姉が作ってくれていた。

猫はウタという名前で、次女が連れてきた雑種ネコだった。そして、同じく次女が連れてきた彼氏はわたしと同い年でいつもご機嫌だった。一般的に考えて、女3人暮らしに男1人というとちょっと引っかかるが、驚愕の違和感の無さでむしろ感覚的には四姉妹暮らしに近かったかもしれない。四姉妹と猫1匹。

帰ればみんなリビングに集まってご飯を食べ、ウタの定位置はソファに座ってる誰かの膝の上だった。休みの日には、誰かの友だちが当たり前にリビングにいたし、そんな時のウタはシャーシャーと威嚇に疲れて姉の部屋にこもるのが常だった。

そして、わたしのことは完全にナメていた。同等もしくは下。それでも『クリミナルマインド』の怖すぎるシーンを一人で観てるときには、仕方ないなという感じで大人しく抱かれてくれていたし、途中姉が帰ってくると当然のように足蹴りしてわたしの腕のなかから出て行った。

東日本大震災のときには、みんなで不安な夜を越した。

動物の勘で誰よりも先に余震を察知するウタがそわそわと走り回ると直後きまって地震がきた。避難に備えてゲージに入れる練習もしたけど全然入ってくれなくてみんなで泣きそうになった。

大震災の1ヶ月後、わたしはその家からロンドンへ発った。

その半年後、次女とウタと彼氏は金沢へ引っ越すことを決めた。

 

そして、今朝、

ウタが天国へと旅立った。

次女夫婦と甥っ子に見守られて、静かに息絶えた。

 

 

 

 

みんな忘れないよ。

ありがとう。ウタ。

 

f:id:suratanmen:20181201132529j:plain朝、支度する私の横で不満げに佇むウタ。そして、かまってくれない姉をじっとみつめる @経堂のリビング